死刑制度について考えてみる

今回のはデリケートかつ七面倒な内容なのであんまり触れたくなかったのですが、つい笑っちゃったので。

たまたま死刑廃止論者とか人権団体のサイトとかを見てて、思わず笑っちゃいました。

仕事中に思わずプフーッて。同僚に変な目で見られた責任を問いたい。

だって、「死刑執行に抗議!囚人虐待はかわいそう。凶悪犯にも人権を・・」みたいな痴れ言を、ネタでもなく延々と主張しているんですね、ここは。

では、私の意見はどうかって?私は、あえて声を小にして言いたい。

勿論、死刑制度など反対です。あんな制度廃止したらいいと思うよ。

・・・勿論、「死んだ人間には人権はない」などと平気で言う危地外電波ゆんゆんな朝日新聞等とは論点が違いますが(笑)、

なんかこう、もっと再利用する方法とかあるんじゃないかと思って。

例えは悪いのですが・・・戦時のドイツは、生体実験により医学が飛躍的に発達したと言われております(例え悪すぎ)。

もし公的に、医療研究に活用できる検体があったらどうでしょう。臨床試験用のマウスと人類では当然体の構造が大きく違います。

現在、世界には癌、白血病、AIDS等の難病に苦しむ、もっと生きるべき方々が大勢おります。

臓器だってまだ使えるでしょうし、罪人憎しと斬って捨てられるよりも、少しは役に立って奪った命より多くの生命を救ってみろってんだ。

極刑には、主に大きく分けて再犯防止・復讐・見せしめと3つの目的があると言われてますが、現行の刑罰では条件のいずれも満たしてない気がする。

世論に脅えながら最大の配慮を払い、闇討ちするが如く非公表でコソコソと執行。その手段というのも、苦痛が比較的少ないと言われる絞首刑にて御丁寧に昇天・・・。

そんなの全然ダメダメですね。処刑する意味がない。執行する人達が何となく可哀相なだけです。

楽な手段で止めを刺してやり、受刑から開放してやる行為を極刑と呼ぶには激甘なんじゃないでしょうか。

過去に甚大な災害を起こした、とある某企業は潰れることも事業縮小することも許されず、永きに渡って今も賠償を支払い続けていると聞きます。

勝手に生きることも死ぬことも許されない、そんな刑を「極刑」って言うんじゃないだろうか。

結論。どうせ殺るならば公開ギロチンとかにしろ。