蛇の足を描かない勇気

蛇足(だそく)という故事成語があります。
蛇の絵を描き上げた画家が、調子に乗って余計な足を描き加えたら台無しになってしまったという話。

この「余計な足を描いちゃった」事例、それはもう色んなところで見掛けます。
巳年の今だからこそ、折角のプロダクトを台無しにしないよう、改めて「蛇の足を描かない勇気」について考えたいと思います。

過剰なPDCAは蛇足のはじまり

みんな大好きPDCAやCI(継続的改善)。

サービスが成長するのに振り返りや分析は大事なことですが、既に成長しきって安定しているサービスに対しても同じ温度感で「カイゼン!カイゼン!」と継続的な変更を強要した結果、誰も望まない改悪が生じてユーザーが離れていった…という事例を結構見かけます。

かつてmixiが足あと機能廃止や日記仕様の変更などを繰り返しユーザーが離れたように、また最近のTwitterが改悪を繰り返しているように。。

過剰なバージョンアップが「蛇足」となっている事例、本当によく見かけます。

DTMや画像編集、OSに至るまで「この頃のバージョンがシンプルで安定してた。必要充分」と感じる時代ってありますよね。
個人的にWindowsは2000の頃が必要充分で好きでした。CubaseもVST~SXの時代で充分。

名作の晩節を汚す蛇足

あと、ヒット作の「続編」そのものが蛇足になっちゃうパターン。

せっかく綺麗にまとまってたのに、余計な続編で台無しにされた作品は数知れず。

エイリアン3、お前のことだよ。

名作「エイリアン2」にて家族や未来の希望を象徴するような、あの完璧な脱出シーンを引き継いで、どんな無能に脚本を任せたら、あの全滅スタートが書けるのか。

あと最近のディズニー系は大体ひどい。余計なポリコレ主張を足さないでほしい。トイ・ストーリー4とシュガー・ラッシュ:オンラインは記憶から消したい。。

ネームバリューと金額が作品愛でコントロール出来なくなった類の続編は、まぁ大体酷い結末を迎えている気がしております。

そういえば「けものフレンズ2」は怖いのでまだ見てません。

演歌の大御所症候群

「演歌の大御所症候群」なんて言葉はないのですが、いま考えた。

BSの歌謡番組や年末の歌特番なんかで、昔の大物歌手が昔のヒット曲を歌うじゃないですか。
問題は、誰もが知っているサビのところで節回しを変えたり無駄に溜めたりして「思ってたのと違う」へんてこアレンジにズッコケてしまう。あの現象こそ「蛇足」だと思ってます。

モノマネ番組で、後から出てきた御本人が全盛期の見る影もなく「似てなかった」事例も、この蛇足アレンジで台無しになってるパターンを良く見かけます。

同じヒット曲を数十年間、何千何万回と歌わされているので「一番丁度良いところのアレンジに飽きちゃってる」んだと思います。
この問題は、冒頭の「過剰なPDCA」にも通ずる部分があるような…

そういえば、コントの練習を繰り返してる時にも、一番面白かったピークを越してしまう(一番面白かった状態に飽きてしまう、面白かった状態が解らなくなる)感覚があるような。
一番面白いと思える状態をキープして、余計なものを足さないという訓練も、時には必要かも。

ポケモンになれなかった妖怪ウォッチ

かつて、「妖怪ウォッチ」という大ヒットコンテンツがあった。

ゲーム、アニメ、玩具、音楽…etcのメディアミックスがことごとく成功し、日本中の子供たちが妖怪メダルや妖怪体操に夢中になっていたものでした。

このままポケモンやドラえもんのように、エバーグリーンなコンテンツとして末永く国民的アニメとして定着するんだろうな…と当時は思っていたのですが。

このレベルファイブという会社。病的なまでに「飽きっぽい」ことでも有名だそうでして。

妖怪学園やらリアル路線?やら、度重なる思い付きと設定変更で「蛇足」を描き重ねた結果、見る影もなく廃れていったのでした。スナックワールドやその他作品も同様…。

そこへきてポケモンは「メガシンカ」や「Z進化」など新要素を取り入れつつも、コアとなる良い部分は初代からブレずに守っているため、時代とともに愛され続けている気がするのです。

ウイングマンとmixi2は「理想の蛇」でした

2024年の最後に私が熱狂していたコンテンツは、「ウイングマン」と「mixi2」でした。
…2024年の出来事です。令和の21世紀で、一番面白かったものがウイングマンとmixiてwwwww

どちらも素晴らしいと思ったのが、きっちりと「理想の蛇」をお出しになられたこと。
過去作の良いところはきちんと踏襲しつつ、まったく新しい「蛇」を新規に描き上げている。
余計な「足」など描かれていない。

ウイングマンは特撮実写化に伴い「現代風のアレンジ」「設定改変」「シナリオ改変」…と、原作実写化のアンチパターンを全部盛りで実装していたため正直不安はあったのですが、蛇の画に例えるならば、蛇を熟知した緻密なアレンジ。
「本物の蛇なら、毒液はこう吐くよね!」「ピット器官はこう機能するよね!」と、桂正和先生本人によるノリノリの全面監修による正当なアップデート。これは作品愛と深い理解による賜物かと思われます。
(※ウイングマンというマンガ自体が「東映特撮のオマージュ」なので、むしろ東映による特撮実写化が作品本来の姿)
同時期に実写化された「着せ恋」の出来がアレだったのと、ほんと対照的でしたね。

mixi2は、やはり「mixiが一番楽しかった頃」にフォーカスして(かつての反省も踏まえ?)、マイミクとコミュニティの疎結合な関係性のみに特化して舵を切ったのが潔くて良いなと思いました。
日本人がSNSに何を期待して欲しているのかを「わかってる」感じがとても良い。

このまま「蛇足」せずに、安定したサービスとして成長してほしいと思ってます。

蛇の足を描かない勇気

さて、成熟したサービスに「蛇の足を描き足さない」努力。
これって、けっこう勇気のいることだと思うのです。

特に勢いのあるプロダクトだと成長の足を止めるのは不安も残るだろうし、外部からのプレッシャーもそれなりにあると思う。
しかし、丁度良いところをキープする見極めも大事だろうし、維持するセンスも必要になってくると思う。

成熟したサービスに対して、飽きずにブレずに良いところを守り続ける。
無闇やたらに描き足さず、「ちょうど良い蛇」を末永く育てていけるような年にしていきたい。