徒然エッセイ-プログラマーが夢だった

★そういえば、古くからの友人の中で、現在プログラマやSEなど情報処理関係に従事している人が比較的多い。そのうち何人かは確実に、自分がその道に引きずり込んだ覚えがある。
そして、張本人であろう自分は、その道を離れてかなり久しい。今は全く関係のない職種に従事している。
何故か。答えは簡単、時代が俺を追い越したのである。
猫も杓子もパソコン全盛の昨今、自分のようなマイコン世代はすっかり過去の遺物と化してしまったようである。
あれは20年ほど前、小学校3年の頃だったと思う。当時ファミコンが流行り出した時代。我が家に来たPC-8001mkIIとMSXという2台のパソコンは何か難しそうだと思う反面、あまりに衝撃的で、かつ魅力的な物であった。
当時1本何千円もするファミコンのカセットを月に、いや年に何本も買えるほどのブルジョアな階級には育ってなかったので、自分でゲームが作れる、無いソフトは自分で作れるというこの機械に対して物凄い可能性や神秘のような物を感じていたのは良く覚えている。
それからすぐBASICだのアセンブラだのを覚え、(原始的なPCのため絵は描けないので)棒や文字が動くだけのシューティングとかRPGのような物を作っては、友達や兄に無理矢理遊ばせていた気がする。普通にファミコンもあるのに。
それからPC-8801、X68000と高性能な機種に乗り換え、C言語などをかじり始め「これが私の生きる道」とばかりに進んできた進路を、何故かあっさり諦めてしまった。
高校3年の受験で進路を決める際も、当然のように情報処理に進むつもりだったのが、本当に願書を書く時の気まぐれで「倍率が低くて女子も多いからインテリア科にしよう」と突然方向転換を図った辺りから事情が変わってくる。
結果、ここでアサカワズと出会い、体調崩して仕事辞めた後にハイビスカスを結成して現在に至るので人生も解らないものだが、恐らくそのまま情報処理の道に進んでいたら、今頃はもう少し安定した、順風満帆な生活をしていただろう。家庭を作り、長男がそろそろ小学校に上がるような、そんな28歳だったに違いない。若しくはこれと言った目標も持たず、ネットゲームと2ちゃんねるに引き篭る毎日であろう(こっちの方がリアルで嫌だな)。
どのみち、今のように趣味最優先で生きるようなハイリスクな生活は送らなかったと思う。そう思うと結果オーライですな。
そしてもう一つ、日進月歩で進化し続けるPCの性能に、実際自分の能力が着いていけなくなったのも大きい。
今でこそPentium4-2.5GHz、HDD80GBなんてスペックのPCを普通に使っている訳だが、当時のPCといえばZ80-4MHz、RAMは16KBと原始的な環境であった。データセーブに至っては普通のカセットテープに20分かけて録音なんてザラである。
その極めて限定された状況なら内部まで熟知して自由自在に操れたマイコンも、少し目を離した隙に恐ろしい速度で進化を遂げ、私の手の届かない所へ行ってしまった。
近所の野良猫を飼い慣らすことが出来ても、野生のライオンや虎を手なずけられるとは限らないのである。
そして私は現在、自らプログラムする事をやめ、メーカーから供給されたソフトを消費する側に落ちぶれている。
最近、このサイトのトップページや各種掲示板などのCGIを記述しているperlという言語にも割と詳しくなってきたので、暇が出来たらネット上で出来る簡単な(そしてハマるような)ゲームを作ってみようかとも思っている。
しかし、それに着手するには現在、自分にとって他にやるべき面白い事が多すぎる。